あ行
| 人名 |
よみ |
解説 |
| 秋山 富雄 |
あきやま とみお |
ロシア人ギタリストの演奏に心惹れ、激しいセゴビア風な演奏で聴衆を魅了した鬼才秋山とみお。(1999.10) |
| 阿部 覺治 |
あべ かくじ |
新しい時代の函館を夢見、市民に「大函館論」を捧げた海産物商人、阿部覺治。(2001.1) |
| 阿部 たつを |
あべ たつを |
函館の良識の代表とされ、医学を通して市民の健康管理に尽くした文化人。(1994.9) |
| アルハンゲリスキイ,ワシーリイ・ワシーリエヴィチ |
|
革命という非情の波に流され、生涯故国の土を踏むことなく、函館の土となった亡命ロシア人。(1998.12) |
| 生田 喜代治 |
いくた きよじ |
異国の地で不慮の死を遂げた国際的ランナー。(1997.8) |
| 池谷 寅一 |
いけがや とらかず |
函館洋画壇の黎明期を支えた風景画家。函館の街をこよなく愛し、函館の四季折々の景色をかきとめた池谷寅一。(1992.9) |
| 石川 藤助 |
いしかわ とうすけ |
資性温良にして義侠に富み常に公共の事に努め、湯川村に温泉を開削し、現在の湯の川温泉街の礎を築いた石川藤助。(2005.12) |
| 石塚 弥太郎(初代・2代) |
いしづか やたろう |
漬物乾物商から海陸産物商へ、また公共事業において貢献した函館の代表的商人初代石塚弥太郎と初代を助け、自宅のある谷地頭町で温泉を振り当て、土地と共に函館市に寄付した2代石塚弥太郎。(2003.12) |
| 石原 正 |
いしはらただし |
故郷・函館図の作成を実現できず志半ばにして世を去った、我が国の鳥瞰図絵師(ちようかんずえし)の第一人者・石原正。(2005.10) |
| 泉 泰三 |
いずみ たいぞう |
議会担当の新聞記者から合名会社を起こし、函館市の資産家として知られる一方、市会議員として市政に奔走した温厚なる紳士・泉泰三。(2007.1) |
| 井田 こう吉 |
いだ こういき |
田本研造の第1号の門人となり、進取の気性に富んだ写真師・井田こう吉。(1998.6) |
| 市川 団四郎(初代) |
いちかわ だんしろう |
家元制度に嫌気がさし、全国巡業の未、函館を拠点として芸の花を咲かせ、函館の歌舞伎の草分けとして歌舞伎を市民のものとした初代市川団四郎。(2004.2) |
| 伊藤 鋳之助 |
いとう いのすけ |
北海道で最初に新聞をつくった男。明治の始め、近代印刷が生み出した真実と、文化・情報の新らしい伝達手段「新聞」。北海道新聞の開祖。(1992.8) |
| 伊藤 貫一 |
いとう つらかず |
篤い信仰心と旺盛な研究心をもって人と学問を愛し、教育者として、更に学校管理責任者として宅卓越した手腕を発揮した北海道教育大学名誉教授伊藤貫一。(2004.4) |
| 井上 幸子 |
いのうえ さちこ |
音楽と平和と花をこよなく愛し、半世紀におよぶ函館の音楽運動につくされた井上幸子先生。(1997.3) |
| 猪子 利男 |
いのこ としお |
戦後の太洋(オーシャン)倶楽部を牽引し、多くの市民に″夢と感動″を与えた快男児、猪子利男。(2006.6) |
| 今井 市右衛門 |
いまい いちえもん |
若くして函館初の西洋雑貨の店を開き、北海道最初の新聞社「北溟社」を設立。函館屈指の大商人として、公共事業に率先参加した「函館の四天王」の1人、今井市右衛門。(1992.4)(2001.10) |
| 今井 藤七 |
いまい とうしち |
丸井今井百貨店の創業者で、北海道デパート業界の草分けとして業界をリードした今井藤七。(2003.2) |
| 岩船 修三 |
いわふね しゅうぞう |
函館で生まれ北海道の画壇において常に中心的な役割を果たしてきた油彩画家。 函館商業学枚・美術クラブ「極光画会」で活躍し、後に函館の美術団体「赤光社」の再建に力を尽くした岩船修三。(1992.10) |
岩船 ヤス
岩船 峰次郎(3代目) |
いわふね やす・みねじろう |
函館屈指の大呉服店と称された老舗岩船呉服店の岩船ヤスと三代目岩船峰次郎。(2007.3) |
| 植木 蒼悦 |
うえき そうえつ |
自らの姿を河童(かっぱ)に託し、「河童画伯」の愛称で親しまれた画聖・植木蒼悦。(1996.11) |
| 上田 仁 |
うえだ まさし |
日本交響楽団のファゴット奏者から、東京交響楽団の常任指揮者を務めた大野町が生んだ音楽家。(1996.2) |
| 内川 源作 |
うちかわ げんさく |
渾身熱血の奮闘を以てその半生を彩れる船舶界の健児。(2002.6) |
| 梅津 福次郎 |
うめづ ふくじろう |
天賦の商才をもって刻苦勉励し、一代にして巨万の財を築き、浄財を喜捨し、幾多の事業を援助した真の実業家・梅津福次郎。(2002.12) |
| 蛯子 末次郎 |
えびこ すえじろう |
日本の近代文明に新風を吹き込んだ果敢なる航海師。(1994.3) |
| 蛯子 善悦 |
えびこ ぜんえつ |
徹底した現場主義を貫く画風で、パリの美術界でも広く知られ、フランス在住の邦人画家の先駆者として慕われた画家、蛯子善悦。(2000.1) |
| 大桃 ゑきえ |
おおもも えきえ |
裸一貫で夫と共に温泉旅館「竹葉」を興し、義太夫lこ情熱を注いだ湯の川温泉の名物おばあちゃん・大桃ゑきえ。(2005.2) |
| 大山 マキ |
おおやま まき |
明治・大正・昭和と(丸南)そば屋の暖簾を守り続けた初代経営者大山マキ。函館におけるそば屋の先覚者。(1993.8) |
| 岡田 健蔵 |
おかだ けんぞう |
社会教育の重要部門である図書館事業に生涯をかけた岡田健蔵。世界的にも有名な市立函館図書館は初代館長岡田健蔵の独力でつくられた私立図書館から始まった。(1992.12) |
| 岡田 普理衛 |
おかだ ふりえ |
フランスの酪農の盛んな村で生を受け、道南の酪農の源流を作り上げたフロンティア・スピリットの持ち主、トラピスト初代修院長・岡田普理衛。(2007.4) |
| 岡本 一平 |
おかもと いっぺい |
函館で生まれ、大正・昭和初期の日本の漫画界をリードした漫画・漫文家。(1995.1) |
| 岡本 康太郎 |
おかもと れんたろう |
ウロコの愛称で市民に親しまれた函館製鋼船具株式会社の創始者で、本道漁網販売業界の巨商、岡本康太郎。(2003.6) |
| 荻野 清六 |
おぎの せいろく |
非凡な統率力と優れた経営手腕を併せ持った典型的な近江商人といえる逸材であった、初代棒二森屋社長、荻野清六。(2003.3) |
| 小川 弥四郎 |
おがわ やしろう |
露領沿海州ニコラエフスクに渡航して鮭鱒の買付事業を始め、以後50年間にわたり北洋漁業の経営に当たった小川合名会社の創立者・小川弥四郎。(2003.11) |
| 小熊 幸一郎 |
おぐま こうしろう |
函館を第2の故郷として函館の経済界で活躍、函館の繁栄と函館市民の幸福に貢献した「函館の恩人」小熊幸一郎。(2001.8) |
| 小田島 安佐 |
おだじま あさ |
父、久五郎の厳しい指導のもと、道南において女性写真師の草分けとしてシャツターを押し続けた“規光堂のおばちゃん”こと小田島安佐。(vol.135) |
| 小野 連司 |
おの れんじ |
若くして肝結核を患い、約40年間にわたる闘病生活で、再三死線を克服し、不死鳥のように甦っては詩業にひたすら精進した庶民派詩人・小野連司。(2004.1) |
| 恩賀 徳之助 |
おんが とくのすけ |
呉服太物商から衆議院議員にまで上りつめ、街の発展に尽くした全道的に著名な人物、恩賀徳之助。(2006.10) |
か行
| 人名 |
よみ |
解説 |
| 加賀 栄治 |
かが えいじ |
「学に常師なし」「学に常学なし」と厳しく自らと対峙し、中国古典史の定立に心血を注ぎ続けた中国古典学者・加賀栄治。(2000.10) |
| 笠島 芳朗 |
かさじま よしろう |
遠景描き、リアリスティックな風景抽出、確かなデッサン力、北国の風土のなかで、自己の感性を研ぎずました北国の画家・笠島芳朗。(2002.10) |
| 加藤 兵次郎 |
かとう ひょうじろう |
男女が抱き合って踊る社交ダンスに対し、日本の道徳とは相容れないという批判が浴びせられていた時代、日本にダンスホ−ル営業のノウハウを導入し、ダンスによる国際親善をすすめるために世界をめぐった、ダンス界の開拓者・加藤兵次郎。(2005.9) |
| 金子 鴎亭 |
かねこ おうてい |
戦後、親しみやすい書を目指して漢字、かなまじりの近代詩文書運動を提唱。日本の書道界の革新に尽くし、道内の書家にも大きな影響を与えた書家・金子鴎亭。(2006.1) |
| 亀井 勝一郎 |
|
プロレタリア文学評論家として活動しながらも、第1評論集「転形期の文学」刊行を機に「日本浪漫派」に参加。転向者としての再生、日本回帰をテーマとした評論家・亀井勝一郎。(2002.4) |
| 神永 貞助 |
かみなが ていすけ |
ドイツの家具雑誌やアメリカの百貨店のカタログを参考に函館近代家具の創造に尽力した、函館西洋家具製造の元祖。(1998.1) |
カロリョフ,
アナトーリイ・ニコラエヴィチ |
|
革命という非情の波に流され、生涯故国の土を踏むことなく、函館の土となった亡命ロシア人。(1998.12) |
| 川田 龍吉 |
かわだ りゅうきち |
函館ドック再建のために来道し、その後生涯を北海道農業の近代化のために捧げた「男爵薯」の生みの親・川田男爵。(1997.10) |
| 神田 光彩 |
かんだ こうさい |
北海道の映画発祥の地・函館で、映画館の看板絵師として生涯現役を通した神田光彩。(2000.9) |
| 北上 聖牛 |
きたがみ せいりゅう |
函館に生まれ育ち、京都を拠点に文展、帝展で活躍した日本画家・北上聖牛。(1997.11) |
| 木田 保造 |
きだ やすぞう |
日本で最初の不燃構造の寺院「東本願寺函館別院」の工事にあたった北海道コンクリート建築の先駆者、木田保造。(1993.7) |
| 木津 幸吉 |
きづ こうきち |
函館と「写真」との関わりは、我国の写真の歴史そのものであり、横浜・長崎と共に日本三大写真発祥地と呼ばれている。越後新発田に生まれ、安政の末箱館に渡り、ロシア領事より写真の術を学び、北海道最初の写真場を開いた写真師・木津幸吉(1992.5)(2004.11) |
| 木戸 新太郎 |
きど しんたろう |
海産商の長男として生まれながらもタップダンスの魅力に引かれ、戦前から戦後に亙って舞台・スクリーンで活躍した人気コメディアン・キドシン。(1998.3) |
| 木村 捷司 |
きむら しょうじ |
北方民族を描き、日本の風土を描き、世界を歩いて、人と自然の内奥に迫った”情熱と力”に充ちた画家・木村捷司。(2001.6) |
| 久慈 次郎 |
くじ じろう |
函館で開花した日本野球界の至宝、ヒゲの名捕手〝久慈次郎。(1992.7) |
| 国松 登 |
くにまつ のぼる |
北国の詩情を描き、道内画壇の重鎮として活躍した国松登。(2001.4) |
| 栗谷川 健一 |
くりやがわ けんいち |
函館時代に映画看板の技術を培い、北海道のデザインの歴史と共に生きた、栗谷川健一。(2000.12) |
| クロフォード |
|
横浜に次いで日本で2番目、日本人による近代水道の第1号を作った人々。J・U・クロフォード(1998.9) |
| 邦 かめすけ(佐藤 定一) |
くに かめすけ |
郷土で絵(マンガ)を描くことに最後までひたむきだった邦かめすけさん。(1993.12) |
| 工藤 富次郎 |
くどう とみじろう |
青春の情熱をアポロ音楽会に注ぎ、北海道音楽教育の先駆者として足跡を残した工藤先生。(1993.4) |
| 小池 毅 |
こいけ つよし |
ペストが大流行した台湾の地で自らもペストにおかされ若くして逝った、日本細菌学界のかくれた先覚者、小池毅。(2002.8) |
| 神山 茂 |
こうやま しげる |
教育者として、また郷土史家として郷土史の研究に精魂を打ちこんだ函館市史編さんの先覚者。(1994.11) |
| 児玉 作左衛門 |
こだま さくざえもん |
アイヌ文化の源流をもとめた研究家。アイヌ民族学研究の基礎をつくった人類学者の児玉作左衛門。(1992.11) |
| 小橋 榮太郎 |
こばし えいたろう |
若くして地方の政事に奔走し自ら新聞を創刊、ジャーナリス卜と政治を人生の目的とした小橋榮太郎。(2002.7) |
| 小林 重吉 |
こばやし じゅうきち |
北海道のみならずわが国の商船教育に大きく貢献した実業家であり教育者。(1994.12) |
さ行
| 人名 |
よみ |
解説 |
| 齋藤 玄 |
さいとう げん |
モダニズムの洗礼を受け、後に伝統的韻文精神を尊重し、死生の間に寂光を放つ深い人間観照の俳境に達した齋藤玄。(2003.10) |
| 斉藤 與一郎 |
さいとう よいちろう |
独学で医術開業免状をとり、ドイツに留学、専門の細菌学を修め、函館区医として半生を伝染病防疫に当たり、初の地元選出市長として自治振興に尽くした斉藤與一郎。(1999.2) |
| 坂本 作平 |
さかもと さくへい |
函館商工会議所会頭、露領水産産組合函館支部長を務めるなど公私共に函館の経済界に多大なる功績を残した坂本作平。(2003.9) |
| 酒谷 小三郎(5代目) |
さかや こさぶろう |
商家に生まれ、家業に就きなが生涯画道に精進した酒谷小三郎。(2005.6) |
| 佐々木 逸郎 |
ささき いつろう |
本道を代表した詩人で、放送作家、随筆家。病床ですら原稿を書き続けた「筆1本」の人生。(1996.4) |
| 佐藤 在寛 |
さとう ざいかん |
函館教育界を沸き立たせた在寛先生。函館市の教育界の元老として全市民の尊敬をー身に集め、全道盲聾唖教育の父として敬慕され、北海道のペスタロッチと仰がれた。(1993.3) |
| 佐藤 哲郎 |
さとう てつろう |
函館のスキー界はもとより日本のスキー界の先達として永年にわたり優れた業績を残した佐藤哲郎のスキー哲学。(1995.12) |
| 佐藤 祐知 |
さとう ゆうち |
血の気の多し、人力車夫や運送業者など激しい世論の反対に抗して、独力で“バテツ”の敷設に執念を燃やした実業家・佐藤祐知。(vol.178) |
| 佐野 忠吉 |
さの ちゅうきち |
函館の洋画壇の黎明期を支えた偉大な画家。(1996.10) |
サファイロフ,
ウラジミール・ミハイロヴィチ |
|
革命という非情の波に流され、生涯故国の土を踏むことなく、函館の土となった亡命ロシア人。(1998.12) |
| 澤邊 琢磨 |
さわべ たくま |
キリシタン禁止令の中、ニコライと邪教をめぐる問答の末、洗礼を受け、日本で最初の正教会の信徒として正教会の伝道に携わり、日本ハリストス正教会長司祭となったパウェル澤邊琢磨。(2005.3) |
| 渋田 利右衛門 |
しぶた りえもん |
明治維新前の箱館に於ける庶民の教育に尽力した商業史、教育史の誇り。(1994.6) |
| 白土 誠太郎 |
しらと せいたろう |
将棋の普及発展に一生を捧げ、札幌の福井資明8段ととに北海道を“将棋王国”とする礎を築いた白土誠太郎7段。(1997.9) |
| 神 彰 |
じん あきら |
1950年代から60年代、日本に呼ぶのは難しいときれていたソ連のポリショイ・バレエ、レニングラード交響楽団、ボリショイ・サーカスなどの公演を実現させ、一世を風靡した、元祖「呼び屋」。(1999.9) |
| 眞藤 愼太郎 |
しんどう しんたろう |
北洋漁業の開発者で日魯漁業の副社長を務めた、カムチャツカ漁業の権威者、眞藤愼太郎。(2002.5) |
| 菅原 繁蔵 |
すがわら しげぞう |
植物ひとすじに、地位も名誉も生活すらも犠牲にして悔いなく、次代の人々のために、驚くべき数の植物標本を完成させた植物学者・菅原繁蔵(2004.7) |
| 杉浦 嘉七(3代目) |
すぎうら かしち |
海道最初の銀行を創立して初代頭取となり、函館区の初代区議会議長、函館商工会の初代会頭として、函館の政財界の立役者となった3代目杉浦嘉七。(2005.5) |
| 杉浦 誠 |
すぎうら まこと |
幕末の激動する政局の中で、最後の箱館奉行と呼ばれた開拓使函館支庁主任杉浦兵庫頭。(2000.2) |
| 杉野 源次郎 |
すぎの げんじろう |
官民格差の旧習を打破して市民生活の向上を計ろうとし、各種公共事業に尽力した函館における自由民権の主唱者・杉野源次郎。(2002.3) |
| スミス |
|
函館、北海道をフィールドに自然科学の調査、研究を行ったお雇い外国人。ライマン・スミス(1995.11) |
| スール・マリ・オグスト |
|
函館白百合学園高校」の創立者であり、函館の社会事業と教育のために献身した3人の修道女。(1994.7) |
| スール・マリ・オネジム |
|
函館白百合学園高校」の創立者であり、函館の社会事業と教育のために献身した3人の修道女。(1994.7) |
| スール・カロリヌ |
|
函館白百合学園高校」の創立者であり、函館の社会事業と教育のために献身した3人の修道女。(1994.7) |
| 関根 要太郎 |
せきね ようたろう |
大正・昭和初期の函館において、海同会館、旧亀井邸、旧百十三銀行本店など、多くのモダン建築を設計した、関根要太郎・山中節治の兄弟。(2004.8) |
| 相馬 哲平 |
そうま てっぺい |
質素倹約で巨万の財を積み、社会公共のためにはこれを擲(なげう)って惜しまなかった北海道で屈指の豪商、初代相馬哲平。(2001.9) |
| 園田 実徳 |
そのだ さねのり |
北海道初の電車を函館・東川町−湯の川間に走らせ、函館船渠、北海道銀行を創立させるなど函館を中心に北海道の経済界に貢献した薩摩の人。(1996.1) |
た行
| 人名 |
よみ |
解説 |
| 高勢 実乗(能登谷 新一) |
たかせ みのる |
特異な扮装と演技で国中の人々を笑わせたり、喜ばせたりした映画界の奇人。“ワシヤ、カナワンヨ”の台詞で一世を風靡したアーノネのオッサンこと高勢実乗。(1994.1) |
| 高田屋 嘉兵衛 |
たかだや かへえ |
箱館を基地として、エトロフ島を開発経営し北方漁業の先駆をなし、造船・海運の業を営み、大いに箱館の繋栄を築いた淡路生まれの高田屋嘉兵衛。(2000.3) |
| 高橋 掬太郎 |
たかはし きくたろう |
函館日日新聞社の記者として活躍しながらも、全国を風靡する空前の大ヒットとなった「酒は涙か溜息か」を作詩した高橋掬太郎。(2003.5) |
| 高松 凌雲 |
たかまつ りょううん |
箱館戦争で赤十字活動に先鞭をつけ、明治維新の大業に寄与し、博愛精神と鮮烈な人道主義を貫いた高松凌雲。(2001.7) |
| 田口 フク |
たぐち ふく |
洋髪・パーマネントの先駆者として、函館の婚礼美容の技術を全国的な水準にまで引き上げた明治生れの田口フク。(1999.12) |
| 武内 収太 |
たけうち しゅうた |
北海道文化のために半生をささげ、博物館建設をライフワークとした初代市立博物館館長。(1999.11) |
| 竹内 正道 |
たけうち まさみち |
純国産の人工水晶を開発し、世界におけるパイオニア的存在として水晶とと宅に歩んだ竹内正道の人生。(1999.1) |
| 武田 斐三郎 |
たけだ あやさぶろう |
五稜郭、弁天台場の築造、諸術調所の開設をし、終生人材育成に尽力した当代ー流の科学者。(1994.4) |
| 太刀川 善吉 |
たちかわ ぜんきち |
本道の政界・財界に多大なる功績を残した、函館屈指の実業家・二代目太刀川善吉。(2007.2) |
| 田中 佐吉 |
たなか さきち |
北は旭川、釧路、南は青森、浅虫、弘前の各見番に師匠として通い、我が国邦楽長唄噺子界の重鎮として活躍した“田中のお師匠”さん。(1996.3) |
| 田辺 三重松 |
たなべ みえまつ |
函館洋画壇の黎明期を支えた風景画家。雄大な北海道の自然を愛し、雄渾な筆致で北海道の風景を描き続けた田辺三重松。(1992.9) |
| 谷 徳太郎 |
たに とくたろう |
昭和9年の大火で人命・財産を失くした函館市民の復興を願って”港まつり”を提唱した真の経済人・谷徳太郎。(2000.8) |
| 田本 研造 |
たもと けんぞう |
函館と「写真」との関わりは、我国の写真の歴史そのものであり、横浜・長崎と共に日本三大写真発祥地と呼ばれている。函館で技法を習得して写真業を始め、道内に多数の写真師を養成した日本写真界の元祖、田本研造(1992.5)(2004.12) |
| 千種 基 |
|
横浜に次いで日本で2番目、日本人による近代水道の第1号を作った人々。(1998.9) |
| 続 豊治 |
つづき とよじ |
武器製造者・工藤林十郎、鋳掛職人・銅屋久亘郎と並称して箱館の三絶巧(工)と呼ばれ、日本初の洋船「箱館丸」を建造した船大工。(1995.8) |
| 堤 清六 |
つつみ せいろく |
青雲の志に燃え、遙か北洋の海に夢を求めた英傑。(1995.7) |
| 土子 毅 |
つちこ たけし |
底知れぬ博識と豪快な生き方で、函館の奇人といわれた土子毅。(2006.12) |
| 常野 正義 |
つねの まさよし |
函館の最大の難点であった火防に意を用い、消防組を編成し、函館の四天王ら住民と共に函館の黄金時代を築いた初代の名区長。(1996.8) |
| デカルソン |
|
開校後間もない遺愛女子高等学枚にその生涯を捧げ、基礎を固めた宣教師。オーガスタ・デカルソン(1994.8) |
| 時任 為基 |
ときとう ためもと |
鹿児島に生まれ、明治初期の函館地方の開拓と発展に尽力し、市民に愛され、その名を町名に残した上級官吏。(1995.10) |
| 巴潟 誠一 |
ともえがた せいいち |
身長166センチメートル、体重97キログラムの超小型ながら、立ち合一気に飛込んでいく突撃戦法を得意として”弾丸巴潟”のアダ名で人気のあった小結巴潟誠一。(1995.5) |
| 外山 定男 |
とやま さだお |
“私にとって人生は旅である。盛んに歩き廻って、そしてどこかに辿りついて静かに生を終える”旅をこよなく愛し、人生を見立てた”スペンサーの先生”外山定男。(2000.7) |
| 外山 ハツ |
とやま はつ |
教育の理想を身をもって実行した内剛とネバリの“函館のお母さん”。函館女子教育の先覚者として60年間、女子教育ただ一筋に全身全霊を打ち込んだ外山ハツの生涯。(1993.2) |
な行
| 人名 |
よみ |
解説 |
| 中川 嘉兵衛 |
なかがわ かへえ |
国内で初めて採氷を試み、失敗を重ねながらも五稜郭の外壕で天然氷「龍紋氷」を採氷した製氷家。(1997.2) |
| 中川 五郎治 |
なかがわ ごろうじ |
シベリア抑留中にロシア医師から種痘術を習い、箱館を拠点として種痘術を行った、わが国種痘術の創始者。(1998.7) |
| 中村 勝馬 |
なかむら かつま |
独学で友禅技術を修得、友禅染の第一人者として知られ、人間国宝に認定された函館出身の染色家。(1995.6) |
| 中村 進五郎 |
なかむら しんごろう |
「やもり朗読会」から「函館ドラマ研究会」そして「函館小劇場」と、作・演出・役者として当時の函館演劇界をリードし、前進座で開花、舞台と銀幕で活躍した中村進五郎。(1998.11) |
| 中村 誠二 |
なかむら せいじ |
“ドキュメンタリー・カメラマンの神様”と謳われ、日本のドキュメント映画の歴史に一時代を築き上げた名カメラマン中村誠二。(1999.3) |
| 中村 鎮 |
なかむら まもる |
大火後の「銀座街」建設にあたり、自身の考案による「中村式鉄筋コンクリートブロック造」の建築を設計し、大正から昭和初期に活躍した建築家、中村鎮。(2006.9) |
| 永沢 富士雄 |
ながさわ ふじお |
函館に生まれ、太洋(オーシャン)倶楽部から読売巨人軍の初代4番打者で名一塁手として活躍した、永沢富士雄。(2006.7) |
| 名村 五八郎 |
なむら ごはちろう |
通詞としての業務のかたわら安政2年より英語教育を開始し、箱館において多くの通詞を育成。北海道英学の基礎を築いた長崎出身の名村五八郎。(1997.4) |
| 西出 孫左衛門 |
にしで まござえもん |
石川県から北海道へ渡った大綱元で漁業会社を経営し、北洋漁業の基礎を作った温厚篤実な実業家。(1998.2) |
| ニコライ大主教 |
にこらい だいしゅきょう |
幕末・明治の日本にはじめてギリンア正教会を布教したロシアのニコライ大主教。(1994.2) |
| 野田 高梧 |
のだ こうご |
日本を代表する映画監督小津安二郎の最も重要なパートナーで、シナリオ・ライター協会の初代会長。(1995.2) |
| 野又 貞夫 |
のまた さだお |
函館の私学教育に一生を捧げた野又学園の創立者、野又貞夫。(2002.11) |
は行
| 人名 |
よみ |
解説 |
| 函館 大経 |
はこだて だいけい |
明治5、明治13年と2度の馬術天覧の栄に輝いた当時我国随一の馬術師。(1994.3) |
| 橋本 三郎 |
はしもと さぶろう |
函館で生まれ北海道の画壇において常に中心的な役割を果たしてきた油彩画家。 函館商業学枚・美術クラブ「極光画会」で活躍し、後に函館の美術団体「赤光社」の再建に力を尽くした橋本三郎。(1992.10) |
| 橋本 隆造 |
はしもと りゅうぞう |
函館太洋(オーシャン)倶楽部の第一期黄金時代に活躍し、″鉄腕のエース″と謳われた伝説のヒーロー橋本隆造 。(2006.4) |
| 長谷川 海太郎 |
はせがわ かいたろう |
19才で米国へ渡った長谷川海太郎、函館で生まれた破天荒な文士。林不忘、牧逸馬、谷譲次のペンネームを使い、一人で三人の作家を演じ、当時のモダニズム文学に新風をもたらした長谷川海太郎。(1992.6)(2004.6) |
| 長谷川 四郎 |
はせがわ しろう |
ロシア語をはじめドイツ語、ブランス語、スペイン語等を駆使して子供の本から文学作品まで翻訳した、詩人で作家で劇作家の長谷川四郎。(2003.8) |
| 長谷川 濬 |
はせがわ しゅん |
満州国の文芸運動の研究者であり、白系ロシア文学や満州国の映画史の研究者でもあった長谷川濬。(2004.10) |
| 長谷川 淑夫 |
はせがわ としお |
明治・大正・昭和の三代を生き、函館新聞界を代表した硬骨の言論人。大衆作家・海太郎、画家・二郎、ロシア文学の濬、作家・四郎の父、世民・長谷川淑夫。(1996.12) |
| 長谷川 りん二郎 |
はせがわ りんじろう |
日本の近代絵画の研究者で伝説的な画家であり、また、戦前の埋もれた探偵小説作家を発掘し、自らもまぼろしの探偵小説家として活躍した長谷川りん二郎。(vol.186) |
| 花田 長太郎 |
はなだ ちょうたろう |
理論流で近代将棋の礎を築き、北海道棋界の発展に尽力した将棋の虫、花田長太郎9段。(1995.9) |
| 羽野 栄一 |
はの えいいち |
北海道で最初のデザイン集団を組織し、商業美術・デザイナーの社会的地位向上、後進の育成に尽カした商業美術家・羽野栄一。(1996.9) |
| 馬場 脩 |
ばば おさむ |
アイヌ文化の源流をもとめた研究家。孝古学者で北方民族研究の世界的な権威者馬場脩。(1992.11) |
| パーマー |
|
横浜に次いで日本で2番目、日本人による近代水道の第1号を作った人々。H・S・パーマー(1998.9) |
| 林 儀作 |
はやし ぎさく |
歯に衣着せぬ評論で「毒舌の濁川(だくせん)」と呼ばれ、新聞記者から代議士となり志半ばでこの世を去った佐渡出身の林儀作。(2000.4) |
| 久生 十蘭 |
ひさお じゅうらん |
27才にして仏蘭西の土を踏み、函館で生まれた破天荒な文士。推理、ユーモア、歴史、現代ものと多彩にペンを振るい、博識な技巧で謎多き″多面体作家″と言われた直木賞作家・久生十蘭。(1992.6)(2005.4) |
| 平井 晴二郎 |
|
横浜に次いで日本で2番目、日本人による近代水道の第1号を作った人々。(1998.9) |
| 平澤 屏山 |
ひらさわ びょうざん |
アイヌの人々と生活を共にし、鋭い観察眼と確かな技量で質の高いアイヌ絵を生み出した幕末のアイヌ絵師・平澤屏山。(2001.2) |
| 平田 文右衛門 |
ひらた ぶんえもん |
函館に生れ、函館のためlこ働き、その一生を函館で送った、「函館四天王」の中でも実業肌でスケールの大きな人物・平田文右衛門。(1992.3)(2001.11) |
| 平塚 常次郎 |
ひらつか つねじろう |
青雲の志に燃え、遙か北洋の海に夢を求めた英傑。(1995.7) |
| 平塚 時蔵 |
ひらつか ときぞう |
世のため、他人のために粉骨砕身、函館を愛し、函館を育てたい一心が生き甲斐だった明治の豪商・平塚時蔵。(1992.4)(2002.1) |
| 廣井 勇 |
ひろい いさみ |
函館の本格的な港づくりに関わり、北海道の築港事業を大きく前進させる契機となった廣井勇の築港学。(1999.8) |
| 深瀬 鴻堂 |
ふかせ こうどう |
コレラの予防対策と施療にあたり、 当時の函館の医学界をリードした医術師。(1994.3) |
| 深瀬 洋春 |
ふかせ ようしゅん |
蝦夷地を巡回して我が国初の強制種痘を行い、晩年は自宅で開業し専ら公衆の治療に尽力した深瀬洋春。(2006.3) |
| 福士 成豊 |
ふくし なりとよ |
函館の副基線を測量し、北海道三角測量が全国の測量と結びつく基礎をつくり、函館港湾の測量に従事した続豊治の子。(1996.7) |
| 伏見 勇蔵 |
ふしみ ゆうぞう |
明治後期から大正中期に至るまで、太洋(オーシャン)倶楽部の隆盛時代を築いた「太洋倶楽部」育ての親であり、草創期の名捕手・伏見勇蔵。(2006.5) |
| 冨士 月子 |
ふじ つきこ |
函館で生まれ、2代目広沢虎吉の指導を仰ぎ、満天下を唸らせた月子節で関西女流浪曲の女王として初代春野百合子と肩を並べた浪曲師・冨士月子。(2002.2) |
| 藤間 扇吉 |
ふじま せんきち |
藤間流の道南普及の先達の1人として、全生涯を芸能に捧げ、郷土の芸能文化に貢献した藤間扇吉。(2001.3) |
| 二木 彦七 |
|
横浜に次いで日本で2番目、日本人による近代水道の第1号を作った人々。(1998.9) |
| ブラキストン |
|
日本の自然科学に、また近代化に、そして北海道開拓に少なからぬ影響を与えた英国の探検家。トーマス・ライト・ブラキストン(1994.2) |
| ブリュネ |
|
江戸幕府の軍隊近代化を援助するため派遣されたフランス軍事顧問団の一員として来日し、箱館戦争では榎本武揚の旧幕府軍に参加したフランス人ジュール・ブリュネ。(2006.8) |
| 逸見 小右衛門 |
へんみ こえもん |
函館のまちに桜を咲かせた信濃出身の商人。(1994.5) |
| 堀川 乗経 |
ほりかわ じょうけい |
良水に乏しい町であった箱館に願乗寺川と呼ばれた水路を開削し、箱館の発展に大いに尽力した開拓功労者で真宗本願寺派の僧・堀川乗経。(1998.8) |
| 堀川 トネ |
ほりかわ とね |
日本地震学の父ジョン・ミルンと結婚し英国へ渡った明治の函館の女性、トネ・ミルン。(1994.10) |
| 本田 延三郎 |
ほんだ のぶさぶろう |
自宅を抵当にして制作資金を作るほどの情熱を注ぎ、日本の演劇・映画プロデューサーの草分けとして活躍した永遠の演劇青年、本田延三郎。(2002.9) |
| 堀 達之助 |
ほり たつのすけ |
ペリー来航の際通訳を務め、我が国で最初に刊行された英和辞典「英和対訳袖珍(しゅうちん)辞書」を編さん。また、「函館文庫」を創設した先覚者・堀達之助。(2006.11) |
ま行
| 人名 |
よみ |
解説 |
| 前島 密 |
まえじま ひそか |
越後の国に生れ、諸術調所の武田斐三郎に学んだ我が国郵便制度の創始者。(1998.5) |
| 前田 政雄 |
まえだ まさお |
油彩画から版画に転向、風景画を得意とし、重量感のある山岳風景画等で感動を与えた前田政雄。(1998.10) |
| マクシモーヴィチ |
|
本の植物学界に多大なる貢献を果したロシアの植物学者。マクシモーヴィチ,カール・ヨハン(1994.2) |
| 益田 喜頓 |
ますだ きいとん |
夢多き小学校時代、アメリカの喜劇映画に魅せられ、中学時代は名三塁手として野球狂の日々を過ごした木村一氏の人生の転機。ボードビリアンから日本のミュージカルの発展に貢献し、ふるさと“函館”に永住帰郷した益田喜頓さん。(1997.5)(1997.6) |
| 間世 潜 |
ませ ひそむ |
戦前函館随一の写真記者と謳われ、戦後日本写真家協会創立に参加。“写真の永井荷風”とも評されたライカの名手・間世潜。(2005.11) |
| 松川 次郎 |
まつかわ じろう |
道南の陸上競技界の指導者として活躍し、公認の陸上競技場の設計をした松川次郎。(1999.6) |
| 松川 弁之助 |
まつかわ べんのすけ |
越後で生れ、父の蝦夷地開拓の遺志をつぎ、北地開拓の惰熱に半生を捧げた松川弁之助。(2000.5) |
| 松代 伊兵衛 |
まつしろ いへえ |
明治維新前の箱館に於ける庶民の教育に尽力した商業史、教育史の誇り。(1994.6) |
| 松本 荘一郎 |
|
横浜に次いで日本で2番目、日本人による近代水道の第1号を作った人々。(1998.9) |
| 三谷 元次郎 |
みたに もとじろう |
予言界の革新者として常に神秘予言をなし世人を驚嘆せしめた「電気予言・三谷天命堂」主人三谷元次郎。(1999.7) |
| 宮崎 大四郎(郁雨) |
みやざき だいしろう(いくう) |
啄木に対し変わらぬ敬慕の情を抱き、物資両面にわたって援助を惜しまなかった宮崎大四郎(郁雨)。(2003.7) |
| 宮本 武之助 |
みやもと たけのすけ |
北海道の将来性をいち早く見抜き、布衣より身を起こし一代にして巨万の財をなした清廉高潔な人格者、宮本武之助。(2005.7) |
| 三吉 良太郎 |
みよし りょうたろう |
弘前に生まれ、海と異国情緒と開放性にあこがれ、函館のまちをこよなく愛した詩人・三吉良太郎。(1997.1) |
| ミルン |
|
函館、北海道をフィールドに自然科学の調査、研究を行ったお雇い外国人。ジョン・ミルン(1995.11) |
| 村井 末吉 |
むらい すえきち |
生涯の伴侶を得、無一文から始めた運動用品店を基に2人3脚で、スポーツ普及に努めた人生。(1996.6) |
| 村垣 範正 |
むらがき のりまさ |
米使節団の一員として世界一周に同行し、幕末きってのジャーナリステックな感覚で正確な情報をもたらした箱館奉行・村垣淡路守範正。(2003.4) |
| 村木 甚三郎 |
むらき じんざぶろう |
明治から大正にかけて旧函館区公会堂などを手掛けた北海道屈指の工事請負人、村木甚三郎。(2006.2) |
| 村田 駒吉 |
むらた こまきち |
本道屈指の富豪にして広大な耕宅地を有し、温良にして聡明で内外の商勢に通じ、銀行業にも従事した村田駒吉。(2005.8) |
| 村田 専三郎 |
むらた せんざぶろう |
教壇で近代不燃建築を説き、函館の建築史をまとめあげた村田専三郎。(1993.6) |
| モース |
|
江ノ島で研究活動を行い、大森貝塚を発見するなど日本の考古学研究の基礎をつくり、函館、北海道でも自然科学の調査、研究を行ったお雇い外国人。エドワード・モース(1995.11) |
| 元木 省吾 |
もとき しょうご |
社会教育の向上と、郷土史研究に力を注いだ謹厳実直な努力の人。(1996.5) |
や行
| 人名 |
よみ |
解説 |
| 八木 隆一郎 |
やぎ りゅういちろう |
庶民を書きながら詩情豊かな抒情性をもち、八方破れな生き方でありながら純真な心をもった劇詩人。(1995.3) |
| ヤコボ 酒井 武雄 |
ヤコボ さかい たけお |
敬虔なクリスチャンで、神と音楽に全生涯を捧げたヤコボ酒井武雄。(1993.5) |
| 梁川 剛一 |
やながわ ごういち |
彫刻と挿絵というふたつの異なる分野で活動を続けた作家、梁川剛一。オーソドックスなスタイルのなかに、各時代、各民族、各人の諸特徴をとらえ、それを立体的、流動的に活かした梁川剛一の表現は多くの人たちの心に真実味とあたたかい夢をはぐくみ続けた(1993.1) |
| 柳田 藤吉 |
やなぎだ とうきち |
幕末の箱館で外国貿易の基礎を作り上げ、黎明期の北海道における庶民教育の発展にも力を尽した柳田翁。(1997.12) |
| 八幡 関太郎 |
やはた せきたろう |
学問を通じた芸術と云う特異な文学を残し、故郷・函館で執筆を続けた八幡関太郎。(2000.11) |
| 山中 節治 |
やまなか せつじ |
大正・昭和初期の函館において、海同会館、旧亀井邸、旧百十三銀行本店など、多くのモダン建築を設計した、関根要太郎・山中節治の兄弟。(2004.8) |
| 横山 松三郎 |
よこやま まつさぶろう |
わが国写真・洋画の黎明期に天オ的写真家として活躍し、また美術史上でも洋画の先駆者として貢献した大芸術家、横山松三郎。函館と「写真」との関わりは、我国の写真の歴史そのものであり、横浜・長崎と共に日本三大写真発祥地と呼ばれている。(1992.5)(2005.1) |
| 吉岡 憲 |
よしおか あきら |
北海道新聞界の先駆けとしての函館毎日新聞社の基礎を固め、創刊1万号を記念して史跡五稜郭に桜の木1万本を植栽した下総国生まれの吉岡憲。(1998.4) |
| 四倉 ミツエ |
よつくら みつえ |
つつましく咲くすみれを愛した“忍耐と我慢”の人四倉ミツエの教育に捧げた人生。(1999.4) |